くろじいの小屋
COLUMN


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36  日の丸            2004. 4.01
 
 この季節になると必ず起きるバカ話。
 
 
卒業式や入学式で日の丸を揚げる揚げない、君が代を歌う歌わない。
今年は歌うときに教師が起立しない事で揉めている、まったくおめでたい国である。
良い悪いの問題ではない、その教師がテレビのインタビューに答えてる姿が情けないのだ、顔を隠し音声を変え・・・・・
「日の丸は国旗では無い、君が代は国歌では無い」そう言いたいのなら堂々と顔を出して言えばいいのではないか?
生徒達にどう説明するのであろう?
養護学校の生徒だから説明しないのであろうか?
「先生は何故卒業式で起立しなかったのか?」
「何故テレビの取材で顔を出さないのか?」
文句があったら、意見があったらハッキリ言えば良いと教えているのだろ?
 
 
逆に高校受験の生徒を勇気づける為、教室に合格祈願のオモチャ神社を置いた教師が
教育委員会から大目玉を食ったという。
生徒達は困惑である。
 
良いか悪いか判断するのは生徒達本人だ!
 
アメリカのご機嫌をとり、中国の顔色を伺って、言いたい事も言えない。
国旗を掲揚する度に右呼ばわりされる。
靖国神社に参拝に行くたびに言い訳をする。
 
 
孔子の教えに「中庸」というものがある。
 
「過ぎる事もなく、及ばぬ事もなく、常に変わらない事が徳として最上のものである」
 
「君子は広く書物を読んで、それを礼で引き締めていけば道に逸れることは無いであろう」
 
簡単に言えば(というか、くろじいの頭では簡単にしか理解出来ないよ)
「何事も極端に偏るのでは無く、程々というのが人間の生きる本道である」
という意味であろう。
 
極右も極左も最後に登場するのはどちらも独裁者である。
 
 
「自分は中道を歩いて来たつもりなのに、世の中が右に偏って来たらいつの間にか相対的に左に見られるようになった」
以前あるテレビキャスターが言った言葉である。
 
 
再び孔子の話
ある日の事、孔子の弟子である季路は師に尋ねた。
 
「神霊に仕えるとはどんな事でしょう?」
 
孔子は答える
 
「人に仕えもしないのにどうして神に仕えよう」
 
季路は更に問う
 
「死後の世界について尋ねているのです」
 
孔子は答える
 
「生もわからぬのにどうして死がわかろうか」
 
 
人間は愚かな生き物である。
だから神の名の下にまだまだ殺し合いは続くだろう。
 
それでも頭に銃を突きつけられて「話せばわかる」と言っている。
わからないのである。
相手に対して憎悪と怨念しか持っていない人間にどう話せばいいのだろうか?
こちらが本道と思った事でも相手には別の偏った教育で本道ではないからである。
 
「毒をもって毒を制す」とは愚かな考えなのはわかっている。
「平和の為の武器」というのも愚かな事はわかっている。
わかっていても同じ事は数千年繰り返されて来たのである。
話せばわかるのは対等の立場になってからだ。
 
しかし対等の立場になったとしても日本人には無理であろう。
それだけの器量がある民族ならあるいは可能だろうが・・・
 
旧ソビエトとの冷戦時代、アメリカはSDI構想という計画を発表した。
「近いうちに宇宙空間から人工衛星を使い、相手の戦略ミサイルなどをレーザー光線で攻撃出来るようになる」とブチあげたのである。
これに脅威を感じたソ連は急速に西側に歩み寄った。
そして結果としてソビエト連邦は崩壊していく。
ところが蓋を開けてみるとSDI構想なんて絵空事で何にも出来てはいなかった・・・・・
アメリカはポーカーの国なのである。
 
札をめくって見せる花札では敵わないのである。
 
 
尖閣諸島に中国人が上陸して大騒ぎになっている最中、国民年金未納の芸能人を国会に・・・・・などと寝ぼけている何処ぞの国会議員が二大政党の党首だとは情けない。
 
オリンピックの時だけ日の丸を振って、いきなり日本人になるからやっぱり無理かな〜
 
なにはともあれ高橋尚子に出て欲しかったよ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


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