くろじいの小屋
COLUMN


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35  懺  悔            2004. 4.11
 
 くろじいは生まれてから中学生の時まで新宿の柏木(今の西新宿)で育った。
新宿駅まで歩いて5分の場所だった。
 
その頃の新宿は今のように恐ろしい場所では無かったな。
汚くて、どぶ臭くて、悪く言われる町だけどくろじいは新宿が好きだ。
 
家には風呂があったが、何故か物置と化していたので毎日銭湯に行くのが楽しみだった。
場所柄ヤクザのおじさんがいっぱいだ。
 
「おじさん何で指無いの?」・・・・何とも怖いもの知らずである
 
「お〜坊主、背中流してくれや〜」
 
「おじさんの背中の絵カッコ良いね」子供心にも刺青の上手い下手は一目瞭然。
上手い刺青は芸術的である。
すすんで龍やら天女やらの刺青を流した。
喜んで流したのはジュースをご馳走してくれるからだ、小遣いもくれたりする。
それも10円では無い500円!当時の子供としては大金だ!玉じゃ無いよ500円札!
怖い?いや優しかった、必ず流してると言うんだよ「お母さん大事にしろよ」って
今思うと自分に言い聞かせていたのかな?
彼らが居たから治安が良かったのかもしれない。
少なくとも今の新宿よりよっぽど安全だったと思う。
 
くろじいが通ったのは、開校して100年以上も経つ古い学校なので、低学年の時は石炭のストーブだった。毎朝日直が石炭と着火材であるマメタンを入れるのだが、ふざけてマメタンだけを入れたら一時間目の最中にストーブ全体が真っ赤っかに光って怖かった・・・
怒られた
 
燃えさかるストーブにオシッコをかけた。
プールの着替えではチンチンを出して走り廻り
ユネスコ村の遠足では、楽しい思い出よりも小さな電車のトンネルでスカートをめくった事が印象に残ってる
親は当然呼び出しである。
2階の教室のカーテンにぶら下がってターザンごっこをしてたら、下手な奴が落ちて足を折った。4年の時には自転車暴走族を結成して率先して走り回った。新宿西口の地下で車を全部止めて100台以上の自転車で爆走!大迷惑だったろうな〜
転倒者続出&骨折でPTAで大問題となってこれも解散。
 
淀橋警察署(今の新宿警察署)の近くに成子天神という神社があって、日夜その山で決闘が行われた。武器はY字型にゴムが付いたパチンコ、弾はカンシャク玉を使ってチームに分かれて襲撃しあう。
ある日仲間のパチンコが攻撃中に突然折れた。目を押さえて苦しんだかと思ったら「あー目の前に棒が見えるー」と顔面の前に手を伸ばして叫んでる。折れたパチンコの小さな破片が目に突き刺さったのである。即救急車で近くの東京医大に運ばれて手術。
幸い失明には至らなかったが当然これもPTAで大問題になった。
 
話は脱線するが青梅街道を新宿の大ガードに向かって走り、中野区と新宿区の境、神田川に架かる橋の名前が淀橋だ、カメラ屋の名前もそこから由来する。
家康が京都の淀に風景が似てるからその名を付けた等と諸説があるが確かでは無い。
 
さて家と駅の間に公園があった、それこそ駅まで3分の場所。
毎日の様に「太陽にほえろ!」の撮影をしていた。裕次郎も何度も見た。
そこに今で言うホームレスの人がリアカーを置いて住んでいた。
当然襲撃である。
ただし人間を襲うことなど考えもしなかった、見張りを置いて少し離れた場所から小石を投げてリアカー内に居ないことを確認。中から寝具やら家財道具を引っ張り出して隣の墓に放り込む、代わりに墓から抜いてきた卒塔婆をリアカーに刺して出来上がりである。
何とも恐ろしい光景だ。
 
その公園の砂場では、虐められる奴を肩まで埋めて墓から同姓の卒塔婆を持ってきて砂に刺す埋葬ごっこをやった。線香は爆竹である、顔の前30センチで爆竹が破裂するのだからなかなか怖い。
近くのおっちゃんやおばちゃんが注意しても聞く耳持たず、そんな物は挨拶である。
 
東京医大と言えば思い出がある、幼稚園の頃、テレビを観ながら銀玉鉄砲で遊んでいた。しばらくして大音量になったテレビを不審に思って母親が来ると、俺が口を開いてテレビの前に座っている。よく見ると鼻にも耳にも入れられるだけ銀玉を詰めていたらしい。
音が聞こえないからボリュームを上げ、息が吸えないので口を開いていた訳だ。
鼻も耳もピンセットでも取れない位置まで押し込んでいた。激怒した母親に背負われ、泣くと玉を更に奥まで吸い込むので泣くなと怒られ、叩かれながら医大まで行って耳鼻科に連れて行かれた。そんな小さい時の記憶なのに、母親が申し訳なさそうにしてる姿と「注射はしないから大丈夫だよ」と言ってくれたお医者さんの言葉を覚えてる。
その頃は注射をしない人は良い人、する人は悪い人・・・これが全ての基準になる。
 
今でこそ東京医大は立派な建物だが、小学校の頃はボロボロで建物の間を大きな通路が通っていた。中央公園はまだ出来ていない頃、そこを通って4号地(今の高層ビル街で当時は広大な空き地だった)や隣接する東京都のドカン置き場に遊びに行くのである。
その通路の真ん中位に何と道に面して霊安室がある!
ちゃんとロウソクや線香を置く台まである(あたりまえか)
ジャンケンで負けた奴が中に入って金をチ〜〜ンと鳴らして逃げて来るのが遊びだった。
ある日虐めによく合う奴が中に入った瞬間にみんなでドアを閉めた、計画通りである。ただ予想を越えて泣き叫びとうとう失神してしまった。医者や看護婦が来て大騒ぎになった。
もちろん学校に通報されて翌日の朝礼で閉じこめた全員が前に立たされたのは言うまでもない。
 
 
イタズラも度を超えるととんでもない事だ。
何処までがやって良いことか、怒られるのか、許されるのか・・・・・
子供達はその経験を通して会得していく。
力関係であるとか、本当に正しいこと、悪い事、社会で生きていく方法も全て会得していく。
 
虐めもそうだ、虐められる人間には何かしらの原因がある。
こう言うと反対意見もあるだろうがそれは間違いない。
ただ救いなのは子供達の虐めは特に幼少の頃は単順明快だ。
大人になる程陰湿になっていく、人種の虐めであったり国対国の対立も虐めと同じだ。
 
社会に出て資本主義の世の中には取る者と取られる者しか存在しない事を知る。
あるデータによると関東地方には個人資産が50億円以上ある人間が3万人程度居ると言われている、良くも悪くもそういう人間を中心として社会が動いてる現実を知る。
 
虐めた方も虐められた方も知恵が付く、子犬がじゃれ合う事によって何処まで噛むと痛いのかを身をもって覚えるのと同じである。
その経験の無い人間は大人になってもスカートをめくったり、めくる度胸の無い人間は盗撮に走ったりするのである。
 
小さいとき会得した生き方は役に立つ、それは学校の授業では絶対教えてくれない貴重な財産なのである。
 
人生は本当に楽しい!
 
 


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