くろじいの小屋
COLUMN


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58  あの日から一年      2003.12.11
 
 もうすぐあの日から一年になる。
 
忘れもしない13日の金曜日
いつもの様に朝シャワーを浴びて阿佐ヶ谷駅から中央線、新宿で乗り換えて下北沢へ。
知人の家で話すこと一時間、ソファーに座りながら煎餅の後に登場した羊羹を「食べようかな〜」と思ったその瞬間に貧血のように目の前が暗くなった。
それでも階下のトイレを借りて戻るまでは良かった。
よほど顔色が悪かったらしく「横になって」と言われた。
だんだん身体半分が痺れてくるのを感じた、気持ちは悪かったがそれでも痛みは全く無し。救急車に乗って「血圧220脳内出血の可能性」と言われ、え?高いのは知ってたけどそんなに?
それでも受け答えはしっかりしていて「携帯使っていいですか?」と聞いてから家族に電話。親友にメールまで送っていたのであった。
その友達によると「倒れた、救急車で病院行く」と送って来たきり繋がらなくなったので相当心配した(らしい)。
そのまま救急隊の判断で目黒区のM病院へ運ばれたのが午後一時過ぎだった(らしい)。
 
CTを撮ってから午後4時から手術決定、頭の毛を剃る先生に「半分だけじゃダメですか?」と言った事を覚えてる、お願いも虚しく丸坊主。半分残してどうするつもりだったのか?
手術は頭にドリルで穴を開けチューブを刺して血を抜くわけだけど、局部麻酔なので頭蓋骨を貫通するドリルのゴリゴリという音まで覚えてる。最後に頭の皮を縫われる時だけ痛かった。「ちょっと麻酔切れちゃったかな〜」って誰かが言った。オイオイそりゃ無いだろ〜
しばらく眠ったみたいでICU(M病院ではハイケアルームと呼ぶ)で目が覚めた。
 
それからが大変だった(らしい)。
「帰る!帰ってナナ(犬)に舐めて治してもらうからタクシー呼んでくれ」これを聞いた母と弟は「とうとう終わっちゃった」と真剣に思ったと言う、当然か。
それでも看護婦一人一人に「君は48s位だね、君は58s」と体重を言い当てていたらしく(ししし知らないもん)それは微妙に正確な数字で驚いたらしい(ごめんなさ〜い)。
 
それから数日間、看護婦をつかまえては「俺さぁ今晩脱走するからさぁよろしくね!」と言って(らしい)婦長に通報され「体動コールウーゴ君」という物を身体に付けられ、起きあがるとナースコールが響きわたる仕組みにされてしまった(らしい)。
更には歩けもしないのにベットから床に降りる始末。
とうとうベットの下に感知マットなる地雷のような装置を仕掛けられ、くろじいが踏むと看護婦が怒りながらやってく来るという繰り返しだった。
わざと踏んでは寝たふりしたり、ウーゴ君のスイッチをいじって用も無いのに看護婦を来させては怒られもした(らしい)。
「オレンジジュース持って来いよ〜トロピカーナじゃ無いとダメだからな〜」と言っては看護婦を困らせた(らしい)。
 
点滴は引き抜き、寝返りが片方しか出来ないので、引き抜いたチューブで血だらけになりながらグルグル巻きになっていた(らしい)。
「またこんがらがっちゃったよ〜直してくれよ〜」と叫んで怒られたのだけ覚えてる。
そんな俺にも気を使ってくれて、わざわざ別の部屋から電動エアーマットの最新式を持ってきて変えてくれたらしいんだが、どうもいまいち寝心地とモーターの音がお気にめさなかったらしく、元に戻せと騒いで普通に戻させ「余計な事しないで最初からこれにすりゃあ文句はねーんだよ」と言った(らしい)。
ベットから床に降り、看護婦5人がかりで持ち上げられた。「もう〜クロちゃん重いんだからね〜」と怒られ、逆に「重いだなんてセクハラで訴えてやる!」と言った(らしい)。
 
弟が言うには綺麗な看護婦さん&お気に入りの看護婦さんには上記のような事はまったく言わず、まるで別人のように丁寧な話し方だったという事で、いやいや本能とは恐ろしいものである。(しらないしらない全然しらない)
 
 あれから一年、あの日のままで時間が止まってしまってる自分と、とてつも無く長い時が過ぎて遠い昔の事の様に感じる自分が居る。
それまでリハビリ・障害者などという言葉は遠い世界の事くらいにしか感じていなかった。
今では倒れた事によって多くの見えなかった世界、見えなかった物、見失ってた物が見えるようになってきた事は幸せだと思う。
 
それにしても虎屋の羊羹食べてから倒れればよかったな〜


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